AMに日本を経ち、バンコク経由で夜22時過ぎにムンバイ(チャトラパティ・シヴァージー国際空港)着。
空港の巨大さ、デザインの秀麗さに驚愕。
空港から約1時間かけて、市中心部のホテルへ(インドの空港は中心部から遠い!)。
皆さん、長旅の疲れで早々に部屋へ・・・。しかし、部屋によってはなかなか温かいお湯が出てこなかったとか。それでも我慢すればそのうち出てきたらしい。こんなことで苛立ってはダメ、当たり前だけどここは日本じゃないのだ。受け入れるしかない。
明日からいよいよツアー開始!
■2日目(1/8金):ムンバイにてスラムを視察、そしてプネへ。
【世界最大規模のスラム】********************************************
出発前にMTG、紹介。
ここで、GRA代表岩佐さん(ひろきちゃん)より、苺栽培の匠/レジェンドである橋元忠嗣さん、インド事業責任者の渡辺周さん(しゅうさん)、GRA理事の斉藤 光弘さん(みっちゃん)らの紹介。そしてHISの内田さん(うっちー)から本日のブリーフィングを受ける。
バスに乗り込み、スラムへ。
さて、このスラム。Dharavi(ダラヴィ)地区と呼ばれており、世界でも最大規模で100万人以上(!)の人が暮らしていると言われている。かの有名な映画「スラムドック・ミリオネア」の舞台にもなっているとか。
現地のNPO団体に属するムンバイ大学学生がガイド。
写真撮影は厳禁。歩いて良い場所といけない場所があり、許可された場所を歩く。
街中はまるで迷路。細い路地を縫うように歩く。ガイドからはぐれたら一大事、とても戻れる自信はない・・。
スラムと聞いて我々が連想するのはどうしようもできない貧しさ、不衛生さ、絶望感。でもここで目にした光景は違ったものであった。廃棄物プラスチックのリサイクル関連、段ボール製造、皮製品、アルミニウム等の工場。焼き物(窯業)の密集区画。一つの一つの品物の生産やリサイクルのサプライチェーン(分業・協業の仕組み)があった。それぞれの場所で、人による作業があり、仕事をして収入がある。さらに、食べ物を取り扱っている商店街がある。私立の学校も、公立の学校もある。語学や数学を勉強しているのだろうか。
聞いたところ、ダラヴィ地区は政府の認可を受けたスラム。スラムには非認可と認可がある。認可されたスラムであれば、住民票もあれば、選挙にも参加できる。インドは民主主義ゆえに、多数のスラム居住者が、政治家にとって重要な投票層となっている。だからか、税の優遇施策などもある。補償なしには強制的に退去されない。そういった優遇施策やコミュニティとしての強い繋がり等により、一定の収入があってもスラムに住み続ける人もいる。つまり、我々がみたスラムは、貧しくてどうしようもできない絶望的状況ではなく、いわばある種の経済・生活圏が成り立っている。
でも、これはスラムの一つの側面にすぎない。我々の想像を超えるような闇の部分や、絶望的な貧しさも存在するだろう。ムンバイには現代的高層ビル群がある。大富豪の巨大な豪邸もそびえる。そのすぐ近くに、広大なスラム街が広がる。そのスラムにもいくつかの様相がある。かようにも、ムンバイは多様な都市構造から成り立つ。
左写真はバスの横で平然としゃがみ込んで大きな用を足す子供。なんでわざわざ目の前で?と疑問だったけど、そこが彼らの日常の定位置らしい。しかし、リアルすぎる・・・汗。
そしてスラムツアーの最後に、名門ムンバイ大学の学生ガイドが一言。「ぼくもスラム出身なんだよ。その辺で生まれ育ったんだ。」と指さす。・・・驚いた。どおりで路地にやたら詳しい訳だ。スラム出身といっても、スラムで暮らす人生ばかりじゃない。目標をもって、努力すれば、別の道が開ける。地位や格差は固定化されているばかりじゃない。可能性はある。インドの懐の深さを思い知る。
そして、日本人の立場からみると、そういう人たちとの勝負が、世界では待っている。