■4日目(1/11月):ムンバイ観光、そして帰路へ
ついに最終日。
ムンバイに戻るバスの中で、今回ツアーの振り返り。
一人ひとり、今回のツアーで感じたこと、気付き、今後の自分の目標や夢を語る。
【ムンバイ市内観光】************************************************
・ムンバイの中央駅
イギリス統治時代に作られ、チャトラパティ シヴァジー ターミナス駅(旧ヴィクトリア ターミナス駅)という、世界遺産に認定されている駅。渋滞する道路の真ん中にバスを止め、思い思いに写真撮影。全員でジャンプ!しかし、現地の人にはどう見えたのか笑。
・高級ショッピングモール
インドのショッピングモールでは必ず入口でセキュリティチェックが必要。グッチ、プラダ、ラルフ・ローレン・・・こういうとこで目につくグローバル・ブランドは世界どこに行っても同じ。
最上階に高級スーパー。中高所得者層の生活水準が伺える。日本と値段はそんなに変わらない(むしろ高いものも)。現地のイチゴが並んでいたので試食。確かに酸っぱく、堅い。まずい。
・タージマハル・ホテル
ムンバイ湊の海に面する、インドを代表する五つ星ホテル。
伝えられるところでは、インドの近代工業の父でタタ・グループの創始者でもあるジャムセットジ・タタは、ムンバイ(旧ボンベイ)の当時最大のホテルだったワトソンズ・ホテルに入ろうとして白人専用であることを理由に宿泊を断られ、これに怒ってもっと豪華なホテルをインド人の手で築こうとしたとされる。1903年に開業し、以来ムンバイ第一のホテルとなりインドを訪問する世界の政治家・王侯貴族・有名人らがこのホテルの客となった。(Wikipediaより)
「奥さんに金のネックレスを買う」ことを一つのミッションとしていた菅沼さん(ボンドさん)、何とこの超高級ホテルの貴金属ショップで金のネックレスを購入!サポートした大久保さん(まいこさん)のタフなネゴシエーションの結果、気品ある佇まいのネックレスを割安でゲット。目的達成し勢いづいたボンドさん、ホテルスタッフの目をすり抜けプールサイドへ侵入、水着姿でくつろいでいる西洋人宿泊客をパチリ。よく捕まらなかったもんだ・・・汗。
・インド門
タージマハル・ホテルに隣接するムンバイ観光のハイライト。1911年にジョージ5世を迎えるため建設され、その後は英領インドとイギリス帝国の重大な行事のために使用されたが、現在はイギリスによるインド国民への植民地政策と制圧の「歴史的遺産」である。インド門はインドに初めて訪れたイギリス人のための、イギリス帝国の「権力と威厳」の象徴であった(Wikipediaより)。
海風が心地よい。この先に広がるのはインド洋、その先は右に進めば中東、アフリカ大陸、ヨーロッパ大陸。左にいけば東南アジア、そして日本。大航海時代から東インド会社設立、そして帝国主義の時代へ。そのランドマークの一つに立ち、当時に想像を巡らせる。
その後、すぐ近くの中華レストランにて、最後の晩餐。最後の盛り上がり。ようやくカレーから解放されたと思うと同時に、もう食べることはないのか、と思うと少しさびしくなる。
予測される渋滞に備えてやや急ぎ目の夕食後、ムンバイ空港へ。
ここで、別便となる福岡からの参加メンバー(中尾さん親子、シルビーさん)、そしてその後も少しインドに残るくららさんと、再会を約束してお別れ。
バンコク経由で、成田へ。
【そして、ツアー解散】***********************************************
無事帰国。初代同窓会会長に任命された谷口さん(たにさん)が、旅が無事終了したこと、そしてツアー参加者の将来と全員の再会を期して、「三三七」の一本締め。
そして解散。
明日からまた日常が待っている。