GRA代表岩佐の新刊「甘酸っぱい経営 株式会社とNPOを併せ持つGRAモデル」がカドカワ・ミニッツブックより出版されました。
本書に出てくる人々について、本書で取り上げきれなかった人物像を岩佐自身の言葉で語ってもらいました。
*******************
GRAのレジェンドを紹介したい。今日から拙書新刊『甘酸っぱい経営』(Kindle)の紹介を兼ねてその登場人物とGRAで働く人々を一人ずつ紹介する。
第一回はこの人、橋元忠嗣(はしもとただつぐ)、67歳。
僕と一緒に農業生産法人GRAを一緒に立ち上げた共同創業者の一人だ。彼は今から50年前、17歳の時に上京して左官職人になった。
26歳の時に山元町に戻りおやじさんのイチゴづくりを手伝い始めてから40年、ずっと山元町で凄腕のイチゴ職人として君臨していた。
ある時期は地元の出荷組合の品質管理部長を務めるくらいの品質へのこだわりが強く、頑固一徹、イチゴの品質に関しては一切の妥協を認めない。
橋元家というのは、山元町のある地域を治める豪族で、橋元忠嗣はその本家の長男。ある時期までは隣町まで他人の土地を踏むことなくたどり着ける程だったたという。
しかし、2011年3月11日の東日本大震災において、彼の広大な屋敷と農地は津波ですべて飲み込まれた。海沿いの土地だったので、震災後は第一種区域として定められ、一切の住宅の建設が禁止されている区域となり、もはや彼があの場所に帰るすべはなくなった。忠嗣にとっての震災はまさに人生を変える出来事だったに違いない。
忠嗣が仮設住宅で悶々としていたとき、同じく共同創業者で忠嗣の甥でもある橋元洋平が忠嗣をひっぱりだした。「一緒にイチゴを再生しよう。世界一のイチゴ産地を山元町に創ろう。」その年の秋には、僕らはイチゴハウスの建設をスタートした。
翌年2012年の春には最高のイチゴが獲れた。「ミガキイチゴプロジェクト」が始まった瞬間だ。その彼はあれから3年半の時を経て、今、GRAのインド事業地において、貧しい農村のためにイチゴ作りを教えている。インド人のスタッフからは「レジェンドハシモト」と呼ばれている。
こんな日が来るなど、だれも想像していなかっただろうと思う。
山元町を旅行以外で出たことが無いような彼が、1か月近くもインドに滞在し、インド人と一緒にイチゴづくりをしている。
僕はこれが地方におけるイノベーションの源泉だと思っている。
つまり古き良きものと新しくとがったもののマージ。地方と田舎のマージ。日本と世界のマージ。地球と宇宙のマージ。
それが「甘酸っぱい経営」だ。そんな話を本にした。Kindle限定だけど450円。是非読んでほしい。
日本から世界に飛び立つミガキイチゴが出来るまで物語。
GRAグループが歩んだ4年間とそこで夢を追いかける人々の想いを50分で読み切るミニブックに凝縮しました。
ここにはいくつになっても「甘酸っぱい」青春の中に生きる大人達がいます。
【甘酸っぱい経営:アマゾンkindkleで大好評発売中】
http://www.amazon.co.jp/dp/B00UMHZXPS