地元、山元のGRA先端農場で働く橋元さん、現在、最盛期のいちごを、朝摘みいちごとして仙台に出荷しています。この日も、朝早くからの農作業を終えて、山下中学校に駆け付けてくれました。
※橋元さんの作られているイチゴのひとつ:「MIGAKI-ICHIGO」の詳細はこちらから
中学時代、Jリーグのカズがとにかくカッコ良かった。カズに憧れ、絶対にサッカー選手になりたいと思って、部活に明け暮れた毎日だった。
実は私の親は耳が不自由だったので、その後、高校、大学に進学する中で、福祉施設で働きたいと思うようになり、大学は福祉関係の学校に進学した。しかし具体的にどういう仕事がしたいのかという、はっきりとした目標は考えていなかった。卒業前に滑り込みで、地元、山元町の福祉施設への就職が決まり、山元町の共同作業所、工房地球村で11年間、内職作業、清掃作業、畑作業、お菓子作り等の障害者の仕事場作りをしてきた。
東日本大震災で町が被災して、社会福祉協議会の中でボランティアセンターが立ち上がった。全国からやってくるボランティアのコーディネイターをやった。瓦礫撤去や側溝の泥掻きや、いちご農家の支援をやってもらった。この震災でたくさんのいちご農家が被災にあったのを目の当たりにした。自分が小さい時には、近くにいちご農家がたくさんあった。お裾分けをもらって食卓にはいつもイチゴがあった。でもそんな身近にあるイチゴがどうやって作られているか全く知らなかったことに気づいた。
被災したいちご農家が、今後どうしたらいいのか迷っている話しをいっぱい聞いた。これを聞いて何か自分にできないかと思った。そうした時に、東京で会社を経営している、坂元出身の岩佐ひろきさんと出会った。一緒にいちご農家を作ろうという話しになった。そして35年いちごを作っていた農家の橋元忠嗣さんにお願いに行って、3人で新しく会社を作ることになった。
Q.全く経験が無かったいちご作りに取り組んで、これまでで一番大変だったことは?
A.農家の経験が無くて1からの勉強になったこと。苗を作る時の水の掛け方、夏の暑い時期にどうやって苗を守るか、どの時期にどういう作業をするかということも良く分からない中で勉強の毎日だった。
Q.一番うれしかったことは?
A.暑い時期、寒い時期、四季を感じながら仕事ができた。暑い時期を経て、寒い時期になって、いちごが収穫できて、それを食べた方が、美味しいと言ってくれることが一番嬉しかった。
Q.橋元さんたちが作っているいちご(ミガキイチゴ)、新宿の伊勢丹デパートで1粒1,050円で売られている。何故そんな大粒で美味しいイチゴが山元から生産できるのか?
A.すごい技術を持っている農家がこの町にはたくさんいる。先ほど写真で見たハウスの中の栽培は、高設溶液栽培という方法を採っている。今までは、土耕栽培で、農家の経験や勘で美味しいいちごを作って来た。これからの農家は、そういう技術も大事にしながら、土作りをどうしたらいいか分かりやすくしたい。どういう養分を入れたら美味しいいちご作れるか、温度、湿度、日射がどういう状態であれば美味しいいちごが作れるか、それをデータ化して、安定的に美味しく作れるようにチャレンジしている。そしてこのデータは、新しい農業の後継者作りにも役立てたいと思っている。
Q.もし中学1年生に戻れたら、今何がしたいですか?
A.中学生時代は、夢を持ってサッカーに夢中になっていた。それから何年も経ちましたが、私は、何歳になっても、こうなりたい、こうしたいという夢を持ち続けている。地球村を辞めたけど、辞めたつもりは全く無くて、地球村の人たちとまたGRAで働きたい。また地域の人と新しいいちご作りをやってみたい。中学生に戻ったら、またサッカー選手になりたいと思うでしょう。